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宮﨑駿が的外れなのに叩かれないのは宮﨑駿だから

blog.livedoor.jp

 

上の記事を要約すると、人間の歩く進化プログラムのシミュレーションの結果生まれた動きが、宮崎氏には知り合いの障害者の動きに見え、障害者や生命を馬鹿にした行為であり不愉快だと激怒したという内容。

この主張は的外れだ。技術者は意図して障害者を真似たのではなく、アルゴリズムによる結果たまたまその動きになったにすぎない。それを知り合いの障害者と同じ動きで侮辱を感じるというのは、彼個人の人間関係に依存する話だ。そんな知り合いがいなくても連想したという人は、障害者はこのように奇妙に動くという当人の偏見が原因だ。

交通事故死した家族をもつ遺族は、ドラマや映画の交通事故シーンに特別な感情を抱いて傷つくかもしれない。しかし、そういった背景を持つ人は少数だし、製作者に交通事故被害者を侮辱する意図はない。だが傷つく人が0でないのは事実だ、といったら何も作れなくなる。

ネットユーザーは宮崎氏擁護が多く倫理、倫理と鈴虫と化している。彼らは自分の生理的嫌悪感を倫理観の欠如という、一般に否定され難い価値観を利用して正当化している。

単なるコンピュータ上のCGに、ただ人形(ひとがた)をしているというだけで非人間的な動きをさせると倫理の欠如だという主張を読むと、漫画、アニメ、ゲームが批判の根拠として受けてきた現実と空想の区別がつかなくなるという、荒唐無稽と思えた批判を鼻で笑えなくなってしまう。

ネットユーザーは東京都の青少年健全育成条例問題が起きた時は都をこぞって批判した。だが今回は都と同じ主張をしている。違うのは保護対象が非実在青少年ではなく非実在障害者な点だ。かつては小さな女の子が強烈な性的行為をする表現を擁護しておきながら、人形のCGがくねくね動いただけで倫理の欠如だ、生命への侮辱だと騒いでいる。

以前に宮崎氏のアニメ作品「風立ちぬ」に喫煙シーンがあるとして禁煙団体が抗議したことがあった。ネットの多くはフィクションに何を言っているのかと禁煙団体を批判する人が多かった。アニメの登場人物も架空ならプログラムの人形も架空の存在だ。喫煙は登場人物を早死させる目的でさせたわけではないし、シミュレーションも障害者を馬鹿にする目的で動かしたわけではない。なぜ今回は正反対の反応なのか。

理由はネットユーザーが"誰が何を言ったか"ではなく、"誰が言ったか"しか注目していないからだ。悪事を働いた時、一般人なら叩かれるのに有名人だと叩かれなかったり擁護されたりする。これはその有名人が世間から好かれているからだ。つまり依怙贔屓である。

今回宮崎氏はかつての禁煙団体と同じ無茶な理由で的外れな批判をしているのに、宮崎氏擁護派が多いのも同じ理由だろう。私が当該記事を読んで不愉快になったのは、ネットユーザーが自らの依怙贔屓を倫理の欠如という便利な言葉で誤魔化す自己欺瞞に反応したからだと思う。

"誰が"まででなく"何を言ったか"まで意識しないとやれマスコミは偏向している、真実はネットにあるなんて主張は虚しく響くだけだ。