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オカマタレントは差別の象徴

雑記

何年か前から通称オネエ系と呼ばれるオカマタレントブームが来ています。一時のものかと思っていたら案外しぶとく続いています。なぜ、オカマタレントが人気になるのかと考えると、もはや差別されているのがオカマ位だからでしょう。

今も昔も衆目を集めるのは過激な発言、要は毒舌です。こういったものは本来忌避されるもので、やれば攻撃されるため誰もやりたがりません。それが許されるのが差別されている人種です。常日頃から差別され損させられている。そして、それを生み出しているのは自分達だ、そういった意識があるため、世の中で差別されている人々の奇行を大衆は大目に見ます。

現代は差別に厳しい社会ですし、当初、差別されていた職種も人気が出て、一般的になると普通の職業に格上げされ差別は消える、そうでなくとも大分弱まるものです。そうなると大衆は彼らの奇行を許しません。彼らが差別されていたからこそ奇行を大目に見ていたのであり、彼らが差別されなくなったのなら特別扱いする必要はないからです。

今でこそ毒舌はオカマタレントが言っていますが、一昔前はお笑い芸人がその役を担っていました。それは世の中からお笑い芸人という人種が差別されていたからです。河原乞食だとか口が達者なヤクザ者程度の認識でしたから、大衆は彼らをまともな人間とは見なさず、だからこそ彼らが毒舌を言ったり、奇行を起こしても許したわけです。

しかし、今やお笑い芸人は差別されるどころか憧れの職業となり、中には文化人扱いされる芸人もいます。こうなればもはや毒舌など許されるわけもなく、昔の芸人が平気で喋っていた内容を今の芸人が言えば、たちどころに炎上、謹慎という流れになるわけです。

お笑い芸人という職業が社会に認められた瞬間毒舌は不許可になり、それを引き継いだのがオカマタレントであり、それはオカマが今でも日本では差別対象である事を示しています。

以前、オカマタレントが石原元都知事のオカマに対する差別的な発言を批判していましたが、少なくとも彼らは差別があるから稼げているのです。オカマに対する差別を無くすというのは、自分達の飯の種を無くすという事であり、どっぷりとテレビに浸かりブームに乗っかり儲けていながら、差別を無くせというのは何ら説得力を持たないのです。