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「辞めればいい」が的外れな理由

雑記

ブラック企業に対する批判の中で、「嫌なら辞めればいい」という堀江氏の意見が元でいつものように騒ぎがあったようです。

ブラック企業を、法定福利を無視したり労働に対する賃金の未払いが恒常化している企業と定義するなら、それは違法行為であり悪いのは企業です。だったら辞めればいいというのは、見ず知らずの人間に突然殴られた人に、その道を通らなければよかっただけと言うような開き直りです。

辞める辞めないは個人の自由ですが、企業が法律を破るのは自由ではない。企業の違法行為をスルーして個人に責任を求めるのは順序が違うだろう。

堀江氏は、辞めないからブラック企業が残る、働く側にも問題があると主張しますが、単に企業側が法律を守ればブラック企業は無くなります。労働者が事前に企業を必要以上に調べ回る労力や、過酷な労働、転職に伴う時間、金銭、精神的負担も無くなるでしょう。堀江氏の主張は、警察が捕まえてくれないから犯罪を犯したと言うのと同じでこれも開き直りです。

さらに、辞めてから今までの水準で給与や職が保障されるなら、誰だって辞めているだろうというツイートに、何から何まで人頼みか! と非難しています。しかし、元々辞めようとしていたのならともかく、ブラック環境でなければ辞めていなかったのなら、退職は会社の違法行為が原因になります。

退職すれば時間、金銭、精神的負担がのし掛かり、退職が自由意志でなく企業の違法行為によって引き起こされたのなら、退職に伴う諸々のコストをブラック企業が賠償として応分求められるのは当然だろう。通行人に石で窓ガラスを割られた人が、損害賠償として交換費用を犯人に求めるのは当然で、それに対し堀江氏は人頼みか! と非難しているに過ぎない。

さらに一つの職を辞めるというのは簡単な事ではない。日本は解雇規制が厳しく労働市場流動性はほとんど無い。さらに新卒偏重で中途採用は非常に少ない。そういった国でそうポンポン職を変えられるわけがないのです。

さらに嫌なら辞めればいいというのは、その人間に自由意志がある事を前提にした議論であり、長期に継続的なストレスを浴びる事で、学習性無力感に陥っている場合は正常な判断能力があるのか疑わしい。

時折、監禁事件などでなぜ被害者は逃げ出さなかったのだろうと疑問に思う事がありますが、こういった事件も逃げればいいという単純な話ではなく、人間の心理というのはもっと複雑なのでしょう。あがり症の人に緊張しなければいいと言うような人の心を考慮しないアドバイスは無意味でしょう。

堀江氏の主張は、最後に行うアドバイスとしては正しいと感じますが、企業側の責任を指摘する前に行うのは、責任を個人へなすり付ける事になるのではないか。数々の違法行為が指弾され、その後にこのような会社にいても不幸になるだけだと、現実的解決策を提示するのが正しいやり方ではないでしょうか。

何が、どう悪いのかと言った事を考えない極論が正論なら、堀江氏の検察批判も間違いのはずです。彼は検察の捜査は国策捜査だと言い、自分はその犠牲者であると批判しています。しかし、だったら海外で企業すればいいじゃない、だって自由なんだからと言われたらどう反論するのでしょう?

少なくとも彼が国策捜査と批判した検察は、正しい手続きを経て裁判で彼を有罪にしたわけですから法的には問題無いわけです。判決がバランスを欠いているなど疑問点はあるものの精々グレーで、ブラック企業がやっている事は明確なブラック(違法行為)です。そのブラック企業の責任をスルーして従業員を批判している人間が、果たして検察を批判出来るものなのでしょうか?

ネット界の有名人は、複雑な問題を極度に単純化する事で問題の難解な本質を隠蔽し、誰でも理解可能なレベルに引き下げ、小学生レベルの解決策を提示する。そんな誰でも思い付く事を当事者達が思い付かないわけがないという点を無視し、当事者があえてそれをやらない理由も思い付かない。そしてそういった離乳食を好む人々に発信、賞賛される事で利益を得る。