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動物好きや環境保護論者を好きになれない理由

世の中には色々な考え方の人がいます。その中に動物愛護を主張する人達、自然保護を主張する人達がいますが、私はこの様な人間達をあまり好ましく思ってはいない、なぜならこの手の人間達というのは、動物や自然を愛するのと反比例するかの様に”人間嫌い”である事が多いからなのです。

私は動物保護や自然環境の保護というのは、人間にとってそれが好都合だからやっている事なのだと解釈しています。つまり全てにおいて優先されるべきは人間であり、動物や自然を守る事が結果人間の益にもなるからやっている、そう捉えています。しかし上記の人々というのは、どうも動物なり自然なりが人間よりも上で、時として人間がそれらの犠牲にならなければならない、と考えている節があります。人間に利益や不利益がないのであれば、私も動物や自然は守ればいいと考えていますが、何を差し置いてもまず動物、自然を保護しなければならないと私は考えていません。

例えばこのまま蜂が絶滅するとして、それを防ぐためにはある程度世の中が不自由になったとしても、私は保護するべきだと思うでしょう。蜂は現在の地球上の60%の農作物の受粉を担っているからです。蜂が地球上から消えると言う事は深刻な食糧危機が起きる、それを防ぐためならばある程度の不利益は受け入れるべきでしょう、その方が総体としては得だからです。しかしその様な理由がないのであれば、わざわざ蜂を保護する必要もないのではと思うのです。全てはトレードオフを意識して考えるべきだと私は思います。

私は動物や自然が嫌いというわけではありません。これといった積極的な理由が無いのなら、むやみに絶滅させたり自然を破壊する必要はないと思います。ですが意味もなく必ず動物は愛護してやらねばならない、自然は守っていかなければならないとも全く思わないんですね。人間にとって全体的に見てメリットが大きいのであれば、むしろ堂々と動物を殺し自然を破壊するべきだと思います。

昔この地球にはドードー鳥という生き物がいました。飛べない鳥として、絶滅した生物のシンボルとしてよく知られていますが、このドードー鳥が絶滅した事で地球に天変地異でも起こったのでしょうか?ドードー鳥は人間達に食料として殺され絶滅した様ですが、絶滅したからといって何か人間が困る事でもあったでしょうか?大きなデメリットでもないのなら、人間が餓死するよりも、例え絶滅させたとしてもドードー鳥を捕食し命を繋いだ方が良かったのではないか、私はそう考えますね。

動物愛護主義者や環境保護主義者は、何はともあれ動物を、自然を守れと主張しますが、動物よりも自然よりも人間の豊かな生活や命の方が大切ではないでしょうか。動物や自然を守らぬ事が結果多くの災厄をもたらし、守っていた時よりも大きな不利益を被るのならば守ればいいと思います。しかしむしろ守らない方が人間にとって利益になるのであれば、害獣を駆除し森を切り倒し道を拓く事が人間にとって得になるのであれば、動物や自然の破壊は何も悪くはないんじゃないでしょうか。

人間など滅んでしまえ、人間がいなくなる事がこの地球のためだなどと言う人達がいます。私はこの様な人達は狂っていると思います。そういう人達の行き着く先は「小泉毅容疑者」ではないでしょうか。そもそも動物愛護などを叫んでいる人達というのは、大概人間にとって可愛らしい生き物を守ろうとしているだけで、見てくれの悪い生き物に関してはどうでも良いと思っていたりするのです。
同じ人間として最初に考慮すべきは人間であるべきと思うのですがね。動物や自然などはその後で十分だと思います。